役者でなくても
仮面の下に隠された
本当の姿を
皆 誰しももっている。
映画、ドラマ、演劇は
虚構とわかっていても
演じている人とその役柄を
どうしても同一視して
しばらくそのものの見方から抜け出せなくなる。
演じている本人たちからしてもそうだろう。
中にはクランクアップ後の後遺症に悩まされることもあるように
一方、ほとんどの役者は
演じている間いやおうなしに仲間となり
心が通じ合ったと思っていても、
そのドラマが終わってみるとどことなくぎこちなく
当時の雰囲気とは必ずしも一緒の状態を維持するわけではないようだ。
その切り替えができるのが慣れた役者という人たちなのだろう。
彼らは演じているのである。
“別の何”かを
我々は普段
“別の何”かを演じようとして生活はしていない。
ただ、素の自分のすべてを出しているわけではないというだけ
それはただ出すチャンスがない場合もあるし、
だす必要がないこともある。
あえて、それを押し殺して隠しているというのは意外と少ないのでは
もし、日常で人が“役者”をしているとしたら
自分の中に押しとどめている秘密の何かがあるとしたら
それは高度な技術であり、
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