中学生の時にであった『平家物語』の冒頭
盲目の琵琶法師がもの悲しく奏で詠うこの冒頭のくだりにずっと心惹かれてきた。そして、この部分は今も私の心をとらえてはなさない。
「祇 園 精 舎
祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。娑羅(しやら)雙樹の花の色、盛者(じやうしや)必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜(よ)の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。・・・」
人はどうして、変わらずいることはできないのだろう。もちろん、それは変わらず「正」でいることはできないのだろうかという意味である。「誤から正」になるのであれば変わることは大歓迎であろうが、それは通常は例外的なこと。「正から誤」になることはどんなできた人間でも絶対ないということはない。それほど、「正」のままあることは難しいことなのである。それはどんな時代でも、どんな年齢であっても、どんな地位においても、驚くほど繰り返し行われてきたことである。しかし、そんな中でもわかっている真理としては、どんなに変わってそれが横行したとしても、それが、もしくはその人が永久にその状態を維持することはないということ。
そう、それが「諸行無常」ということである。
時には納得いかないこともあるが、そんなことも1回だけではなく、続くとそれはもはや「誤」と思い、正したいことも多々あるが、簡単ではない。
それでもいつも「諸行無常」と言い聞かせて、じっと待つことにしている。
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