[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ふと考えてみた
身近な方が85歳を前に
完全に自分の世界に入ってしまい
もう戻ってこれない状況となった
自分を振り返り
これからは3rd stageだと思う
1st stageは生まれてから仕事を始めるまでの20歳台中頃まで
自我の確立の時期
2nd stageは仕事を始めてから30年が経過しようとしている今まで
自己実現の時期
そして
3rd stageは今からこの世を去るまでの約30年近く
本格的な“断捨離“の時期
今年はその手始めに
公私ともに物質的な断捨離から始めようと思う
今年のモットーは
気品を備え
楽天的
健康的に生きること
久しぶりに自分がこれまでに書いたHPの文章を読み返した
本当に様々なことが書かれていて、正直驚いた
「意外と感受性が強いのね。私!」などと感心しきりである。
文章に書くことで様々な出来事を心の中で昇華できてきたのだなと思えた。
今もいろいろとあるが 当時のもっとしんどい出来事が思い出され たいしたことないなと思えた。
ただ 一番の違いは 出来事の内容より その当時は私の周りは一緒にそれを乗り越えてくれる人たちばかりだったのに 今は一緒に乗り越えてくれる人が少数となっていることだろう
それでも私を必要としてくれる人たちがいる
私が担わなくてはならない役割もある
そのために私が存在しているのだから
自分自身もそのことを中断するつもりはないのだから
その流れの中で自然体でやっていこう
どうしてだか
今年は12月とは思えない毎日を送っている
全国的には大雪でまさに冬な感じなのだが
私の住んでいる東京は寒いような思ったより暖かいような
ちまたにはクリスマスソングが流れているようだが
私の周りではとんとせず
いつもの年末に向けての毎日の中で
ガシガシと仕事を終わらせていくせわしさも今一つ
なにしろ自分の気持ちが12月になってこない
盛り上がってこないというか
どうしたものか?
こんなフラットな年末もたまにはよいのかもと
気を取り直してみるが
自分でもその理由はよくわからない
そもそもにして
季節感がない毎日を送るようになって
いったいどれくらいが経っただろう
母の代までは引き継がれてきた日本の数々の行事がさほど重要しされなくなってから
親と一緒に住まない核家族化が当たり前になってからだろうか
東京で過ごす年末年始が普通になってからだろうか
いずれにせよ
大きく移りゆく時代の流れの中で
様々な生活形態が変わっていくのは自然の摂理だろう
時々本当に不思議に思うのだ
たった200年前には
ちょんまげをし、刀を脇に差した藩士たちが
自宅の横にある坂を上っていたと思うと
だから
2200年頃の日本がいったいどのように変わっているのか
全く想像ができないでいる
先月末に27回目の結婚記念日を迎えた
例年、自分は忘れ、パートナーに思いだせてもらうのというパターン
特に準備もなく過ぎていくのだが
今年は思わぬ思い出し方をした
娘の展覧会に行った帰り
夕食を家族で一緒に過ごした時
最後に娘からのサプライズのお祝いのケーキが用意されていた
これにはパートナーも私もびっくり
忙しすぎて何も予定をしなかったところ
全く期待をしていなかったので
本当に嬉しかった
まさにサプライズとなった
前を向いてやっていこう
誰かが少しでもそれを見てくれているとしたら
それだけで十分なはずだ
そう思えるとささいなことでも幸せは必ず訪れるもの
久しぶりに見た
こんなにのんびりした空を
流れるように走る電車の窓から
本来
こんな田舎の空の下で過ごしていた
自分が
どうして今慌ただしい都会の喧騒の中で暮らしているのか
今もって不思議でならない
戦うことも
突進することも嫌いな私が
どうして都会で戦っているのか・・・
よほど前世ではのんびり過ごしすぎてやりたいこともせずにきたのかな
その罰なのか
前世では自分が望んでかなわなかったことをさせてもらっているのか
人間はなんでもないものねだり
できない時ほどやりたくて時間がほしい
でもいざ時間を与えられてできるようになってもやらない
総合的には時間が少ない時ほど
やりたい気持ちが強くなり
なんとか時間を捻出してやってしまうものだ
もっと時間があればできるのに
なんて愚痴はないと思っている
いつでもできる
自分がやろうとしないだけ
やりたいならやればいい
ただそれだけだと思う
そこには
のんびりした空に癒されながらも
葛藤する自分がいた