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2024年11月28日09/ 時22分の記事
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2009年08月31日23/ 時40分の記事
夏の旅
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野に泊まり

川の音にも

気づかずに

つかの間の夢と

酔いし夏の旅




2009.8.31   佳静
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2009年08月22日23/ 時06分の記事
Summer
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           Summer 

   Summer has a sun.
   Summer has sunflowers.
   Summer has cicadas.

   Summer is hot.
   Summer is yellow.
   Summer is noisy.

   Summer, Summer, Summer.

   All summer has come.

                    2009. 8. 15
 

 今年はいつ梅雨が終わったのか
 いつ夏が来たのかわからないような毎日が過ぎていました。
 それでも1週間前からかやっと夏が来たような感触を覚え、
 嬉しくなって書いた詩です。

 今年は重苦しい気持ちで過ごしている内に
 煮詰まってしまっていました。
 自身も
 本来の夏を取り戻すべく旅にでてきます。  
  

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2009年08月15日15/ 時50分の記事
あの達成感 「じゃじゃ馬馴らし」その後 again
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達成感 「じゃじゃ馬馴らし」その後

 


達成感とはなんだろうか。
何かを成し遂げた時に得るもの、それは何か。
成功、成就、合格、優勝、報酬、人からの感謝、自己満足・・・。
達成感とはそのどれにもあてはまらないもの。
達成感とはやり残すことなくやり通したという強い思い、
全く後悔することなくやり終えた時に感じる感覚だと私は思っている。
これには必ずしも結果は伴わなくてもよい。
そして、私にとっての達成感とは1人ではできないこと。
それはホームページのQ&Aで「生きていて、一番幸せを感じる時は」というQに対して書いた私の答え「人に感謝された時」とは全く異質のもの。
私はこのことをあの「じゃじゃ馬馴らし」で初めて知った。
全くもって、貴重な体験だった。二度とない。

実際にあれ以上の達成感をその後得ていない。

今後、私がまたあの達成感にたどり着くことがあるかどうかはわからないが、今もそれを追って生きているような気がする。














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2009年08月05日22/ 時59分の記事
あの”達成感 高校3年生の「じゃじゃ馬馴らし」5・6部”again
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"達成感 高校3年生の「じゃじゃ馬馴らし」"をもう一度


<5部>

発表後気持ちも落ち着いて教室に戻る途中、国語の○○先生に「脚本がよかったな」と声を掛けられた。そんなことを評価されるとは思ってもみなかった。びっくりしながら教室に着いて、さらに驚く光景を目の当たりにした。

さっきまで喜びで大騒ぎしていた男子が今度は号泣していた。『こんなことが』と心の中で信じられない気持ちだった。彼らの心にストレートに響く出来事だったのだろう。私にとっても今のところこれが最初で最後の体験である。今でも衝撃的な場面として私の心の奥に残っている。

その後クラスではその余韻が醒めず打ち上げをしようということになり、皆で集まり盛り上がったのだと思う。でも、私はそれに行かなかった。今までのことが幻かのごとくもとの生活にきっぱり戻った。受験のことが不安になったのか、それもあるだろう。それ以上にそうしないと自分がこのまま自分の中に潜む情熱をおしとどめることが出来なくなるような気がした。
 



<6
部>

 もとの生活に戻って、文化祭前よりさらに信じられないくらい沈黙した日々を過ごした。学校でも自宅でもずっと机に向かっていたと思う。自然と騒然としていたクラスも受験に向かって平静を保つようになった。

でも、以前と違うのは、個別にやっているようでも、皆の中でつながるものを感じながらやっている気がしていたことだろうか。きっぱり受験体制に戻ってもやはり必要な知識は全くたりなかった。希望の国立の1次は受かったが、2次は無理と判断し、1年間は浪人を覚悟し、一からやり直すつもりだった。が、悩んだあげく、2次と同日に試験があった1つの私立の試験を受けた。なぜか受かった。クラスの女子が作ってくれたお守り(応援の言葉が書かれていた紙)はずっと懐に入れて臨んだ受験。受験日は高校の卒業式だったが、担任の先生から後で、皆が応援していたと聞いた。・・・

今、私はここで働いている。あの時、受ける選択をしなくては今の私はない。

 


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2009年07月31日21/ 時13分の記事
あの”達成感 高校3年生の「じゃじゃ馬馴らし」3・4部”again
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”達成感 高校3年生の「じゃじゃ馬馴らし」”をもう一度

 


< 3部>

劇が終わって、皆に引っ張られるようにして壇上にあげられ、集合写真を撮った。(今見てもその写真は本当にいい顔をしている。)

発表の時はただそこに居るだけの状態だった。半ば放心状態だったのだと思う。3位、2位の発表が終わり、題名をcallされなかった時に「本当に終わったな」とだけ感じた。と、次の瞬間、なにが起こったのかわからなかった。ものすごい歓声と私の横1列に並ぶ人達が高く空中に飛び出し、私は1人椅子に残され、我に戻った次の瞬間、一筋のあたたかい涙が私の頬をつたっていた。   
「優勝はじゃじゃ馬馴し!!」callされていた。

それはどうしても意見がまとまらず流した悔し涙の時には、想像もつかなかった結末だった。

 

(あとでわかったことだが、劇の終わった直後にすでに男子たちは優勝を確信したようだった。)


<4部>
私は大道具置き場にいた。午後の部が始まる前だったと思う。2度と使うことのない大道具を不思議なくらい淡々と見ていた。「ふっ」と笑ってその場を出たときだった。1人の男子が現れ
私に向かって手を差し出した。最初何のことか分からなかった。彼から「ありがとう。」と言われて、握手を求められているのだと気づいた。「○○さんがこんなにやってくれるとは思わんかったよ。本当にありがとう。」と。私はぎこちなく手を差し出した。と同時に彼の手が強く私の手を握った。

私はいったい何をしたのだろうか。結局、無関心にしていたのは私だったのかもしれない。高校に入って協力して何かをやる。そんなそぶりを見せたことはなかった。中学までは学級委員や副会長と人のことで走り回っていた私は、高校では無関心を装っていた。実はいやではないのに学級委員も断った。受験ばかりに向かっている人間という評価を受けていたのは自分だったのだ。


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