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2024年11月28日11/ 時59分の記事
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2009年07月25日21/ 時10分の記事
あの”達成感 高校3年生の「じゃじゃ馬馴らし」1・2部” again
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2006年11月27日~12月10日に書いた
”達成感 高校3年生の「じゃじゃ馬馴らし」”をもう一度

<1部>
高校の時、6組対抗の演劇が毎年文化祭で競われた。その当時受験以外のことではしらけた学生が増えてきていて、すでに昔ながらの懐の大きいバンカラな学生はいなくなっていた。我々のクラスでも出すものが決まらず、進んでやりたがる人もいなかった。どういう経緯だったかは覚えていないが、何故か出し物を決めることになった私は、シェークスピアの「じゃじゃ馬馴らし」を選択したが、決定するまでにはいろいろともめ、同級生の前で泣いてしまった記憶がある。そこからが始まりだった。受験生だというのに、クラス全員で1学期には脚本作り、夏休みはほぼ毎日学校で大道具作りと練習、2学期に入り最終の舞台稽古と続き、私は演出も引き受けた。早朝練習の時に遅れてきた役者の代わりも演じた。あまりつらかった記憶はない。ともかく楽しかった。ただ、今でも、あの時どうしてあそこまでできたのかはわからない。 



<2部>

 私のクラスは理科系だったので、女子は少なかった。最終的は無関心だった男子が中心になって進めてくれた。発表の当日は無我夢中だった。劇は自分のうわずった声のナレーションで始まった。劇の最中は裏方に徹していたが、劇の途中、何回か幕が閉じた後の大道具の移動の時には、つい大きな声になり、舞台の前列には聞こえてしまうほど興奮してやっていた。苦労して作成した仕掛けのランプに、役者の動きとピッタリとあって、火が灯った時には、裏で、関わった大道具の皆のガッツポーズが思わず出たのを思い出す。役者たちもシェークスピアの舞台の如く、大げさに立ち回り、本当にうまく演じきってくれた。
すべては終わった。この時の私にはもう評価などどうでもよいことだった。言葉にはできないほどの達成感があった。

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2009年07月19日22/ 時34分の記事
”12人の優しい日本人”
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娘の推薦で
三谷幸喜さん脚本の”12人の優しい日本人”を観た。
なんでも中学生の時の講義で「陪審員制度」について学ぶために出てきたとのこと
その時は途中までだったが、観ておもしろいと思い、
いつか残りを観ようとずっと思っていてDVDに録画しておいたらしい。
大学の方が一段落がついたこの7月にやっと観ようかということになった。

私自身はあまり邦画は好きというわけでもなかったが、
また、陪審員制度にとりたてて興味があるわけでもなかったが
いつも三谷幸喜さんの関わっている作品には感心させられる何かがあり
そうしようということになった。

見終わって、
やっぱりやられた感があった。
意外な展開
意外な結末

途中、「そうか」「そうなんだ」「そうだよね」と
全く予想外ということばかりではなく
こちらもわかってくることもあり
その動き、流れが痛快でもあった。

なかなかそのことを正確に表現できないが
この話に関して言うと
その人を有罪にしようとして、その根拠を捜すのと
その人を無罪にしようとして、その根拠を捜すのとでは
最初の段階ですでに人の思考の過程に大きな相違があるということだ。

陪審制度だけに限ったことではなく
すべての討論
すべての交渉においても当てはまるような内容であった。

また、自分自身のこれからにも一石を投じてくれた。
そんな感覚に心地よさを感じながら
「う~ん 観てよかった!」と思えた。

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2009年07月10日22/ 時55分の記事
その人の成長に気づかされる瞬間
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ある時
その人が成長したことを知らされる瞬間がある。

それはわりと急にくる。
前触れもなく

自分の中では
その人がまだまだだなと思っていた証拠でもあるわけだが

その人の意外な一面を垣間見るがごとく
その人がこんなこともいつの間にかできるようになっていたことに
驚かされる瞬間でもある。

最初の頃から知っていて
全くできなかった時のことを知っていればいるほど
その瞬間は信じられない光景となり
そして、知らなかった自分への反省となる。

しばらくすると
それは大きな発見となり
じわじわと喜びに変わる。
その落差が大きければ大きいほどに

時にはうれしい誤算であることもある。
そんな意外なことの発展に出会うことは
実は決して珍しいことではなく
今までも忘れた頃にやってきていた。

だから予測がつかないのである。
その人がどんなことに感化され
どんなことに心を動かされ
そして、どんな風に変貌していくかなんて
わからないのである。

そんな予測もつかない事例があるからこそ
最初の場所に留まることなく
常にその度毎に客観的に評価していく目が必要なのだと思う。


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2009年07月02日23/ 時26分の記事
昔の時代に惹かれる理由
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最近、玄チャンのことにかかりきりでしたが、
ひさしぶりにこの絵に戻りました。

以前から不思議に思うことがありました。
好きなもの、わくわくすることは人それぞれ異なるものです。

私にとって
それは
昔の時代のことを考えること
歴史上の人物のことに思いを馳せる時
それが起こります。

いくらでも
どんなにか長い時間でも
考え続けることができます。
ある意味止めることができません。
いくらでも妄想するが如く思い描き続けることができます。
どうしてこの事に反応してしまうのかずっとわかりませんでした。

でも、最近思うに
おそらく
もうすでに終わったことなのに
実は真実は一つしかないはずのことなのに
誰にもその本当の姿を知られることがないため、
多くの人たちがいろいろと想像して
一冊の本に書いたりしているわけですが、
それでも本当のところはわからない。
それだから惹かれるのだと思います。

私が命を落とす時に
もし、本当に神がいて
最後の際に
一つだけ願い事を叶えてくれると言われたら

迷わず
人類が生まれて現在に至るまでのすべての歴史の真実を知りたいというでしょう。
地球が生まれてから現在までを1年で考えると
人間が生まれたのは12月31日大晦日のいよいよ最後の数時間と
以前聞きました。
そんな一瞬ともいえるはかない歴史の一流れを見たいのです。

これは私がずっと昔から心に決めている願い事です。

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2009年06月29日22/ 時11分の記事
ラブリー玄チャン!
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玄チャンの求愛行動は実は初めての産卵の直前に
激しく成されていたのです。

水槽の中の玄チャンの唯一の友達であり
玄チャンの最も愛する人である
’温熱棒’に向かって

あれからネットでは調べていませんが
カメの求愛行動はオスがメスに対してする行動だったと思います。

ならばやはり玄チャンは気持ちの上ではオスなのでは
玄チャンは自分ではオスだと思っているのではないでしょうか?
’性同一性障害’なのではないでしょうか?

玄チャンの本当の心はわかりませんが
思わぬ結果に呆然とするばかりです。

その後も1個ずつくらいで産卵は行われています。
産卵の瞬間をみたいのですが、
いつもわからないように産卵しています。
不思議です。

産卵は体力を使うもの
日中は温熱棒に両手をちょこんと乗せてよく寝ています。
ラブリー玄チャンなのです。

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