地震
水害
死別
などなど
私達はどこで思わぬ出来事に出会うかわからない
私が昨年末に出会った出来事は
今も私の中では忘れられない出来事として
大きな影響を及ぼしている
もちろん
もう普通の生活には戻っているし
自分の中でもけじめはついているのだが
ふとした時に思いだされては
未だ信じられない現実を受け入れなくてはならない状況を思い知らされている
以前から
まとめようと思ってきたことではあったが
昨年の出来事でさらに強く意識するようになった
なにしろその人もしていた“引き継ぎ”の内容を見たことが大きい
家族の大事なもの
家に関すること
何かの時に集まる場所
連絡の仕方
携帯して出た方がよいもの
操作方法の書かれた本
お金にまつわる種々の品物
実際のお金
書き出すとなかなかにある
一覧表にまとめて
それを保管する場所を
家族の揃っているところでおもむろに説明した
前から時々口ではそんなものを作らなくてはと言っていたのを聞いていた家族なので
極端に驚くこともなかったものの
やはり多少は眼をパチクリとしていた
「それでどこかでも行くの?」
なんてことを聞きたげでもあった
特にどこにも行きません
もちろん
でも
知っていてください
何かあってからでは遅いから
変な話
ほっとした
これでいつでも来い!
だと
今
私はその人の残した“引き継ぎ“を見ながら
その人に関する行事をそれに従って忠実に行っている
その内容を私が読むと
中にはそれはいいんじゃないという声もある
当然だ
別にその通りにする必要は確かにないのかもしれないと私もわかっている
実際その通りにはできないこともある
ただそこには
できるだけそれに沿ってやりたいと強く思う自分がいる
そうすることで自分の気持ちを落ち着けているのかもしれない
そして
もう決して直接には行うことのできない“お返し”ができているような気がしているのだと思う
“引き継ぎ”を見るたびに
“引き継ぎ”に従って動くたびに
ありがとう!という感謝の言葉が自然にでてくる
そこには
私はこれからもきちんとやっていくから
ずっと見ててね
と祈る自分がいる