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2024年11月27日17/ 時37分の記事
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2010年06月27日22/ 時50分の記事
超えられないハードルはない!
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「神は超えられないハードルを与えない!」

 

これは真理です。

本当に

 

こう言うととても順調にここまでの人生を来て

全く挫折がないように聞こえるかもしれませんが

そういうわけではないのです。

 

今までも数々の出来事があり

それなりに厳しい事態に直面してきましたが(四面楚歌のような)

それでも私は今ここにこうしているということなのです。

 

驚くようなことも多々ありましたが

必ず時間が解決してくれました。

なぜか

 

だからか

最近、一時心配しても

それ以上に悩まないようになりました。

 

しかも、本来

一日寝るとなんだかそんなことも半減してしまう性格であることもあります。

 

今はむしろ、超えられないハードルの前に立つことを望んでいるようにも思います。

 

ハードルが用意されなくなったら

これ以上は無理だということでしょう。
自分の役目も終わりということです。
 

神様はまさに超えられないハードルを与えないというわけです。

 


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2010年06月19日13/ 時15分の記事
デジャブ

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フランス語でdéjà-vu

 「デジャヴュ」のように発音し、「既に見た」の意味。既視感(きしかん)とのこと。

 

「実際には一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである。」とあります。

 

皆さんはこのような感覚に出会ったことがありますか?

 

私もそうめったにはないのですが、久しぶりに一昨日経験しました。

「あっ、これ以前あった場面!その時も私、そう言っていたね。」

 

正確に言うと、過去に同じ場面を本当に経験したわけではなく、同じ場面の光景を見た、もしくはそこにいた気がするのです。その時には将来のことであるこの場面を・・・

 

これはどういった現象なのでしょう。

 

説明が難しいけど、以前に全く同じ場面に遭遇したことがあるとその瞬間に感じるのです。

 

実際は夢でみたものなのでしょうか?

 

ただ、いえるのは似ている場面ということではなく、あまりにもそっくりな場面なので、かなりドキッとしてしまうということなのです。

 

最近、子供達がみるアニメの中で、パラレルワールドというのの存在を認めて描かれているものがあるのですが、しいていえば、もしかすると並行して存在する別の時空の私がすでに経験したことがあるのではないかとさえ思ってしまうほどに鮮明に思い出されるのです。

 

そんなことを考えながら

さすがにcoolになってしまうのではあります。



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2010年06月10日23/ 時24分の記事
洒落にならない
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なんだか毎日が飛ぶように過ぎていく。

安易に過ぎていくという意味ではなく、

濃密に過ぎていく。

どうしたものかと思うほど

毎日が熱く、そして早い。

 

今までも

「大変だ!大変だ!」といつも騒いでいたが、

今は先が読めないほどに

前が見えないほどに

実体のない何かが押し寄せてきているような気がする。

 

焦る気持ちを通り過ぎて

やばい感じ

 

その時、もう一人の当事者が言った言葉

「これは本当に洒落にならないですよ」

 

とっても的を得ているように思えたのだが、

よく考えてみるとこれって本当はどういう意味だっけ?

 

と思わず、古い辞書で調べてみた。

なんだか書いていない。

 

今やインターネットというありがたい文明の利器があるので、早速調べるとすぐでてきた。

 

「冗談ではすまされない。」とあった。

あっ、まさにそんな感じ

これだ!

 

さて、この結末やいかに

 

まだまだ1年先のお話なのですが



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2010年05月30日17/ 時47分の記事
日曜日は田舎時間

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最近の我が家の日曜日は田舎時間です。

 

朝は6~7時には起きて、掃除、洗濯、ゴミ捨て、近くのスーパーの朝市で買い物と早々と日常の仕事を済ませてしまいます。

 

ちょっと一息いれると

それぞれ仕事や課題をして、きりのよいところで昼食です。

 

また、こもごもすべきことをしたら、ちょっとブレイク

 

5時近くになるとこれまた早々と夕食の準備&月、火曜日の食事の仕込みです。これが不思議とストレス解消なのですね。これから後の時間がとっても大切な時間になりつつあります。最近、この時間の始まりがどんどん早くなり、へたをすると4時頃から始めてしまうので、娘たちからは「もうご飯食べるの?」と聞かれてしまいます。

 

昔、田舎では夕方5時にはお風呂に入り、バジャマにすっかり着替え、夕食を食べながら、サザエさん、サインはVや柔道一直線などなどをみていました。家族が集い、笑い、座席を温めて、そんな懐かしい記憶があります。

 

最近、我が家の日曜日はそんな田舎時間に近づいているように感じるのです。

 

 



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2010年05月23日23/ 時30分の記事
諸行無常
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中学生の時にであった『平家物語』の冒頭


盲目の琵琶法師がもの悲しく奏で詠うこの冒頭のくだりにずっと心惹かれてきた。そして、この部分は今も私の心をとらえてはなさない。


「祇 園 精 舎     
 祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。娑羅(しやら)雙樹の花の色、盛者(じやうしや)必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜(よ)の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。・・・」


人はどうして、変わらずいることはできないのだろう。もちろん、それは変わらず「正」でいることはできないのだろうかという意味である。「誤から正」になるのであれば変わることは大歓迎であろうが、それは通常は例外的なこと。「正から誤」になることはどんなできた人間でも絶対ないということはない。それほど、「正」のままあることは難しいことなのである。それはどんな時代でも、どんな年齢であっても、どんな地位においても、驚くほど繰り返し行われてきたことである。しかし、そんな中でもわかっている真理としては、どんなに変わってそれが横行したとしても、それが、もしくはその人が永久にその状態を維持することはないということ。

 

そう、それが「諸行無常」ということである。

 

時には納得いかないこともあるが、そんなことも1回だけではなく、続くとそれはもはや「誤」と思い、正したいことも多々あるが、簡単ではない。

 

それでもいつも「諸行無常」と言い聞かせて、じっと待つことにしている。

 



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