忍者ブログ
2024年11月28日00/ 時46分の記事
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


*CATEGORY [ ] 
2010年02月27日22/ 時33分の記事
日々これ虚し

mama2010.jpg



伝わらないことがありすぎて

日々、考えることが多い

 

自分の利益ばかりを優先にすることは

ただただ虚しばかりだが

 

人の利益を優先にしたとしても

それが響かなすぎる時には

それもまた虚しい

 

どちらにも

公平に考えていけばよいのだろうが

そこは人間

そうかっこよくはいかない。

 

スイッチの切り替えは

そんなに簡単ではない

 

日々に生きて

日々に感じて

日々これ虚し


PR

*CATEGORY [ 詩 ] *コメント[ 0 ] 
2010年02月20日22/ 時45分の記事
新俳句
mama2010.jpg












昨年末と最近書いた新俳句を3つ

伊藤園の俳句に応募しました。

 

その内2つは

 

ないものと

思えばたりる

暮れの夜

 

 

だだこねた

三歳浮かぶ

晴れ着の娘(こ)



*CATEGORY [ 詩 ] *コメント[ 0 ] 
2010年02月06日22/ 時50分の記事
源 実朝
mama2010.jpg












大海(おおうみ)の
磯もとどろに
よする浪
われてくだけて
裂けて散るかも

 

私の好きな歌の一つである。

源 実朝が詠んだ歌で、金槐和歌集に収められている。

 

実朝は鎌倉幕府の第三代将軍となったが、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣した折に、若干28歳で甥の公暁に暗殺された。

 

征夷大将軍、源 頼朝の次男であり、母はあの北条政子である。

 

8歳の時に父を失い、家督を継いだ兄頼家は、後に北条氏に実権を奪われ、北条氏打倒を企てて失敗、伊豆に幽閉され、祖父である北条時政の刺客によって惨殺されたとされる。

 

権力争いが渦巻く

肉親とても敵であった混乱の時代に

和歌をこよなく愛した若者

 

この歌を詠む時に

彼の心に去来したものは何だろうかとずっと考えてきた。

 

理不尽な力にあらがえず

運命の嵐の中に弱々しく漂流しながらも

強くあろうと前を向いて断崖に立つ

彼の姿がみえる気がして

ずっとこの歌が私の心にい続けている。

 

大学1年生の選択かなにかの授業でも、この歌についてを取り上げてまとめたことがあったが、あの時からその思いは全く変わっていない。

 



*CATEGORY [ 日常 ] *コメント[ 0 ] 
2010年01月24日18/ 時05分の記事
執着
mama2010.jpg












人はどうして執着を捨てることが

できないのだろうか?

 

時に執念を感じる程に

人は執着しないではいられない時がある。

 

執着がなければ

とっくの昔に

シンプルな考え方ができるようになっていただろうにと思えるのに

 

一度でいいから

何に対しても執着せずに過ごしてみたい。

 

中には諸々の執着を克服するべく修行している人達もいるだろうが、

よほどできた僧でも執着を捨てるのは難しい局面であることを知っている。

 

なれば、
私達が執着を捨てるという
大きな壁を

越えることができる日はどれだけ遠いことか



*CATEGORY [ 詩 ] *コメント[ 0 ] 
2010年01月16日23/ 時48分の記事
霊の世界 Part 2
mama2010.jpg












私が父の姿を最後に見たのは、

父が亡くなってから5ヶ月ほど経った頃だっただろうか。

 

生前、医師であった父が

おそらく自分の最も愛する場所であった

診察室の白い椅子に
白衣を着た姿で深く腰掛けて

見たこともないような満面の笑みを浮かべていた。

 

父の後ろにはやはり満面の笑みを浮かべた2人の女性

2人とも白衣を着ていた。

看護婦さんだと思ったが、

同時に、最後に父と一緒に働いていた看護婦さんではないことはすぐにわかった。

 

誰だか思い出せないまま

父と2人の看護婦さんの姿は

徐々に空の方に遠ざかっていった。

 

私は

ああ、行くんだね。お父さんは・・・

 

そこは天国なんだね。

と漠然と思った。

 

亡くなる直前のあの苦しそうな父の姿を思い出しながら

本当によかったと心から思ったのを記憶している。


*CATEGORY [ 日常 ] *コメント[ 0 ] 
<<前のページ| HOME |次のページ>>
忍者ブログ[PR]
忍者ツールズこのページのトップへ