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総勢4500名ほどの大規模な体育祭を観た。
その人数をすべて収容できる大規模なグランドは、一つの大きな力を作り出していた。
幼稚園児から大学生までを集めた大きな力を
集団が作り出す大きなうねり、流れ
一人一人が気持ちを込めて発する雄叫びは大きなこだまとなってグランドに響き渡った。
それでいて、決して画一的ではない動きの集まり
個々の人物に注目すると個性豊かにしなやかに伸びていた。
それが一体となった時の力ほど美しく、感動するものはない。
将来を託せる新しい世代がこれほどまでに育っているのだとまで思わせてくれるには十分な力だった。
時々、思うことがある。
真実はいったいどこにあるのだろうかと
歴史の中で起こった様々な出来事に
思いを馳せる時にも同じことを思うのだが
なによりも現実に
自分の身近で起こる出来事についてでさえも
全く真実がみえてこないことがある。
ひょっとすると
真実は決して一つではないのではないだろうか
そんなふうにさえ思ってしまう。
いや、きっと一つではないのだろう
と最近思っている。
自分の目線でみえる真実と、
他人の目線でみえる真実は
異なっているのではないかと
同じものを同時にみても
もしくは同じことを同時にしても
それに対して感じること
それに対して自分が受ける影響度が
時には180度、異なるように
私は本当に真実を見据えているだろうか 私は本当に真実から逃げていないだろうか
心を強く揺り動かされることは
そんなに多くはない。
しかもその後も
心の奥に深く沈んでいくような感情というのはめったに起こることではない。
なのに
そんな気持ちを何回も起こさせてくれるもの
そして、毎回、新鮮な気持ちで起こさせてくれるもの
そんなものがあるとしたら
私にとってそれはジブリ映画だろう。
「ハウルの動く城」を久しぶりに観た。
以前観た時には気づいていなかった映画の訴える大きな意味に今回、気づかされた。
運命に翻弄されながらも逆らわず
それを受け入れながらも
自分の気持ちも強くもって
生き抜こうとする登場人物たち
自分には圧倒的にたりない何かを
いっぱい感じさせられた。
そして、あのハウルのメロディーが流れると
心が締めつけられるようにせつなくなるのはなぜだろか
人の本質の部分をいつもついてくるのかもしれないなと思っている。
ホームページを開いてから
半年が経ちました。
忙しいこともあり
今回はほとんどの知り合いにはオープンにしてこなかったのですが
最近、ぼちぼちと一部の方たちにお知らせしつつ
好きなことを書き綴る中
おかげさまで自分を見失うことなく
進んでいるように思います。
ただ、残念なのは
最近、空を見ないことです。
正確には見る時間が少ないということですが
空が大好きな私は
暇さえあれば空ばかりを見ている
そんな頭を空っぽにできる時間をこよなく愛する女の子でした。
それができない。
いえ、それをしない今の私は
まだ何か違うと感じています。
本来の自分とは
いつか
以前の自分を取り戻すことができるだろうか
そんなことさえ思っています。
この自分の進んでいる路を
今はじっと下ばかりみて歩いている。
そうしないと踏み外しそうになると思っているのかどうか
そうなのかもしれません。
空と話す
空の声を聴く
そんな詩を
また、いつか描きたいと思っています。
最近には経験しないような会に出席し、
最も自分の中で美しく楽しい思い出として残っている日々を思い出しながら、
最高に素晴らしい日を過ごした。
その三千と輝く星の中に
素敵なドラマが隠されていたことに
今更ながらに気づく。
その中の1つの星でよいのであって欲しいと
願いながら
これから続く路では
そんなドラマがつくられるのだろうか
人生という
つかの間の夢の中で
私が出会う
これからの出来事は
どうなっていくのだろうか
人生の先輩の大きな節目に遭遇し
新しい人生の門出を祝いながら
これからの長くも短い
自分の道のりを密かに心に描く。
先輩のお祝いに
「長き路(みち) 気づけば鐘の 音(ね)のように 余韻しみいる 有終の秋」
佳静